あげあげエビフライ。

あくまで一個人の意見です。

私はイエローで、グレー。

皆さんこんにちは、最近すごいスピードで本を読みあさっている宮本です。

 

以前から気になっていて、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みました。

 

 

これですね。有名なので本屋さんで平積みされてるのを見かけたことがあると思います。

 

全体を通して、すごく考えさせられる話でした。こういう、実話を基にした話のいいところって自分も擬似的ではあるものの体験することができる部分ですよね。

 

色々な人の背景を垣間見るような内容の本なのですが、とても胸が詰まりそうな内容もありました。でも、スラスラと読めたのは作者の方の書き方のおかげなのかなと思います。

 

この本では沢山の人について書いてあって多様性について考えることができる本です。

この多様性という言葉について考える機会が多くなっていて、多様性って言ってる時点で多様性ってあるのかなって思ってしまうんですよね。

なんか、多様なのが基本となっていない感じの表現だと思いませんか?

 

話がそれそうなので早めに戻しますね。

 

 

この本の中でも、私がグサッと来たのが仲間意識の部分です。

息子が通う学校の生徒会長は中国の子で、息子に「困ったことがあったらいつでも言うように」って言われてました。息子はそれを純粋に嬉しいと思っていたのですが、ある出来事をきっかけに同じアジアの血があるという仲間意識の元での言動だったのかなと息子は思い始めます。それが悪いことだとは思ってないけど、息子は複雑な気持ちで受け止めるという話です。

私も留学してる際もずっと思っていたのですが、やはりアジア人の方が親しみやすさを感じていました。見た目とかの問題もあるのだろうけれど、互いの国について知っていることが多い分やはり話しやすいというのはどこかで感じていました。

仲間意識を持つことは特段に悪い事では無いと思います。帰属意識というのが大切な時もあります。でも、それを持っていることに自覚がないのが一番危ないなと思いました。

仲間意識というのは簡単に敵対するものを見つけやすい環境にあるということなのかなと本を読みながら思いました。「自分らか、それ以外か」というのでついつい分けてしまっている時があるなと思ったりします。

私もついつい見た目で自分ら以外の人と判別してしまった経験があります。本当に申し訳なくて、なにも言えなかった。

 

この帰属意識が活躍するのはアイデンティティを考える時なのかなと思いました。自分は周りにいる人の平均という考えがあるように、友人から自分を測ることは割と出来ることなのかなと思います。

 

私は紛うことなきアジアの血をこれでもかというくらい引き継いでいるイエローと言われる人種です。この見た目もアイデンティティを形成するのを手伝っているのかと思います。

 

作者の息子のように色を付け足すならグレーですね。今の私は。

白か黒かはっきりしない。よく言えばどちらにもなれる。悪く言えばどっちつかずな部分が多いです。あやふやなグレーを保ったまま生きています。自分の意見や意思を持ちたいけど、それがブレブレで不安定です。

 

安定する日なんて来るのかしら...。

 

この色が、作者の息子のように変化するのを期待しながら未来を行きたいと思います。