あげあげエビフライ。

あくまで一個人の意見です。

ステレオタイプどない?

皆さん、こんにちは。

久しぶりに真面目なことを書こうと思った、宮本です。

 

今回は、ステレオタイプについてお話ししたいと思います。ステレオタイプって皆さん少なからずありますよね。

私ももちろん持っています。

色んな人と色んな場所で会ったのにも関わらず私はまだステレオタイプがあります。

 

さて、なんで今回このお話をしようと思ったのかは、今大きなムーブメントになっている#blacklivesmatterというものについて私も考えなくてはいけないと思ったからです。

このことについて、声を上げるのはもちろん大切なことです。でも、今回は方向を変えて私自身も誰かをそういう目で見てるのでは?というお話をしますね。

 

ステレオタイプという面で、本当に恥ずかしい話が二つあります。

留学してる際に行ったパーティーであった子に話をすると、どう見てもヨーロッパの血が入ってそうな子なのにめちゃくちゃ日本語が上手だったんです。だから思わず「日本語めっちゃ上手やん!」っていうと「日本人だからね」と言われました。話を聞いていくとイギリスと日本のミックスの子で日本からの留学生でした。本当にあの時は申し訳なさすぎて、めっちゃ謝りました。見た目でどこの国かを判断している自分がいたのです。本当に恥ずかしい。

そして、もう一つも留学中なのですが、これもまたパーティーで出会った黒人の大柄な男の人と話した時に最初「めっちゃ怖い!」って思ったんですよね。その時はガタイがでかいからとしか思っていなかったのですが、よくよく考えると黒人は暴力的という私のステレオタイプが働いたのかもしれないです。もちろん、その人はめっちゃいい人で笑顔が可愛かったです。

 

でも、振り返ってみると私がステレオタイプを持ち始めたのはいつからなのだろうと思います。小さい頃、海外にいた時はあまりなかった気がします。肌の色のバリエーションとか髪色めっちゃ多いやんぐらいにしか思ってなかった気がする。

そう考えた時に、思い出したのは留学に行った最初のオリエンテーションでとある方が話していたステレオタイプについてのことでした。

ステレオタイプというのは、知らないとできない。そのことについて知っていて初めて生まれるものだ。だから、ステレオタイプがない人というのは嘘。」と言っていました。

確かに、そうなんですよね。本当に知らないことって「えっ?そういう差別あったの?」私は知らんかったからしてなかったけど。っていうのはあると思います。でも、1番の問題は知らないことなんて言いますよね。確かに知らないことも重罪ですが、知っているくせに深く知らない奴も重罪だと思うんです。

ステレオタイプっていうのはそのことについて知り始めたときには誰にでもあるものです。特に、文字だけを知っているときなんかはそうですよね。「この世の中にこんな人いるんだー」ってなりますよね。その人たちがどんな生活をしているのかやバックグラウンドがあるかどうかではなく、その人たちの中のマジョリティーはどんな人なのか、あるいは他者が抱いている印象をそのまま引き継ぎます。

私がよく起こす間違いのなかで、これは重罪だなと思うことの多くは他者の印象を鵜呑みにしているパターンです。それは、メディアや知人、家族にも当てはまります。その人たちの言っていることが正しいと思ってしまうことです。

自分の目で確かめて、もっと知って、一度犯した間違いを2度は犯さないようにするのが今の私が出来る最善なのかなと思います。

 

ステレオタイプは常に変わり続けるものだと思います。ずっと同じなのは思考を止めているのとほぼ同意義ですね。

 

ステレオタイプがあることを念頭にいつでも変わっていける、より良い方向に向かえるようにしたいです。