人生のゴールについて。
将来について考えているところです。宮本です。
最近、人生において何に価値を置くべきなのかを考えることがあります。
前に見た動画で、男の人が人生について話をしていました。その中で、自分が死んだ時の葬式を想像してください。と言っていました。
皆さんも、自分の葬式を想像してみてください。
どんな葬式であって欲しいですか?
私は、家族を思い浮かべました。それは、今の家族である兄弟とかももちろんですが、将来あるかもしれない家族も思い浮かべました。
教員になる身としては教え子がいてもいいですね。なんて思ったりします。
この動画で男の人はその幸せな葬式こそが、あなたが今までやってきたものの結果であり、人生のゴールとも言える的なことを言っていました。
なるほど。分からん。
これが私の素直な感想です。
だって、今の私に結婚願望なんてないし、子どもが欲しいとも思っていません。なんなら、生きていく上でお金とキャリアしか考えていない今の私に必要なのは機会を確実に掴むことと、知識をつけること、お金を増やすことについて知ることなんて思っています。まだ、家族というものに重点を置いていないということも出来るかもしれません。
なんなら不労所得者になって田舎の片隅の家でミシンで服をリメイクしたり本読んだり絵を描いたりして過ごしたいなんて思ってる。
目標がごちゃごちゃすぎるんですよね。
そう考えたときに、人生のゴールめっちゃ分からん。となりました。
そこで、インスタで皆さんの意見を聞きました。
実に興味深かったです。色んな人の価値観を垣間見させていただいた気がします。
インスタで晒すことはしないとお約束したので、ここでも誰の投稿かについては書かないことにします。
返信の内容としては大きく分けて3つに分かれてました。「元気に年をとる」「死ぬとき」「目標を達成する」が多かったかがします。他にも分からないとか具体的な答えが出てる人もいました。
どれも私もそうなりたいと思う事が多かったです。
みんなの答えを見ながら、満足感の強いことが大切なのかなと思います。「もうこれ以上することがない!」と思えるぐらい充実した人生を送ったことが大切なのかと思います。
でも、人生で満足するのめっちゃ厳しくない?私は満足できる気がしない。まだまだ、飢えています。この飢えを少なくするために、納得して生きて行きたいと思います。
分からんかなってきた。これが21歳の宮本の答えです。
ステレオタイプどない?
皆さん、こんにちは。
久しぶりに真面目なことを書こうと思った、宮本です。
今回は、ステレオタイプについてお話ししたいと思います。ステレオタイプって皆さん少なからずありますよね。
私ももちろん持っています。
色んな人と色んな場所で会ったのにも関わらず私はまだステレオタイプがあります。
さて、なんで今回このお話をしようと思ったのかは、今大きなムーブメントになっている#blacklivesmatterというものについて私も考えなくてはいけないと思ったからです。
このことについて、声を上げるのはもちろん大切なことです。でも、今回は方向を変えて私自身も誰かをそういう目で見てるのでは?というお話をしますね。
ステレオタイプという面で、本当に恥ずかしい話が二つあります。
留学してる際に行ったパーティーであった子に話をすると、どう見てもヨーロッパの血が入ってそうな子なのにめちゃくちゃ日本語が上手だったんです。だから思わず「日本語めっちゃ上手やん!」っていうと「日本人だからね」と言われました。話を聞いていくとイギリスと日本のミックスの子で日本からの留学生でした。本当にあの時は申し訳なさすぎて、めっちゃ謝りました。見た目でどこの国かを判断している自分がいたのです。本当に恥ずかしい。
そして、もう一つも留学中なのですが、これもまたパーティーで出会った黒人の大柄な男の人と話した時に最初「めっちゃ怖い!」って思ったんですよね。その時はガタイがでかいからとしか思っていなかったのですが、よくよく考えると黒人は暴力的という私のステレオタイプが働いたのかもしれないです。もちろん、その人はめっちゃいい人で笑顔が可愛かったです。
でも、振り返ってみると私がステレオタイプを持ち始めたのはいつからなのだろうと思います。小さい頃、海外にいた時はあまりなかった気がします。肌の色のバリエーションとか髪色めっちゃ多いやんぐらいにしか思ってなかった気がする。
そう考えた時に、思い出したのは留学に行った最初のオリエンテーションでとある方が話していたステレオタイプについてのことでした。
「ステレオタイプというのは、知らないとできない。そのことについて知っていて初めて生まれるものだ。だから、ステレオタイプがない人というのは嘘。」と言っていました。
確かに、そうなんですよね。本当に知らないことって「えっ?そういう差別あったの?」私は知らんかったからしてなかったけど。っていうのはあると思います。でも、1番の問題は知らないことなんて言いますよね。確かに知らないことも重罪ですが、知っているくせに深く知らない奴も重罪だと思うんです。
ステレオタイプっていうのはそのことについて知り始めたときには誰にでもあるものです。特に、文字だけを知っているときなんかはそうですよね。「この世の中にこんな人いるんだー」ってなりますよね。その人たちがどんな生活をしているのかやバックグラウンドがあるかどうかではなく、その人たちの中のマジョリティーはどんな人なのか、あるいは他者が抱いている印象をそのまま引き継ぎます。
私がよく起こす間違いのなかで、これは重罪だなと思うことの多くは他者の印象を鵜呑みにしているパターンです。それは、メディアや知人、家族にも当てはまります。その人たちの言っていることが正しいと思ってしまうことです。
自分の目で確かめて、もっと知って、一度犯した間違いを2度は犯さないようにするのが今の私が出来る最善なのかなと思います。
ステレオタイプは常に変わり続けるものだと思います。ずっと同じなのは思考を止めているのとほぼ同意義ですね。
ステレオタイプがあることを念頭にいつでも変わっていける、より良い方向に向かえるようにしたいです。
一人で暮らすということ。
こんにちは。
一人暮らし歴が3年目に差し掛かりました。宮本です。
最近、家で過ごす時間が圧倒的に増えたじゃないですか。もちろん、私もどこに行くわけでもなくなんとなくうちで過ごしてます。大学の図書館は閉まってるし近くに何もないので、家の時間がどうしても長くなります。
そんなときに起こることをお話ししたいです。1日、家で過ごします。ご飯食べて勉強してお風呂に入って、よし寝よう!ってときに起きることなんですけど...。
「今日一言も発してなくね?」
これです、これなんです。1日が終わって頭をすっきりさせるときにふと思い浮かぶのです。夜に思い浮かぶから寂しさ倍増ぴえんぴえんです。
一人暮らしでバイトとかもまだしていないので、喋る機会ってのが無いんですよね。
だから、布団に入った状態で声が出るかを確認してます。「あっ、あっ、あー」とか言ったりして。
寂しいやつやん!
でもさ、話す相手いないやん、だから仕方ないよ。
これは、私だけじゃなくて、一人暮らしあるあるって信じてる。みんなも一緒の感じの夜あるよね?ねっ?一緒だよね?
ちなみに、最近喋ったのは配達のおじちゃんです。
プリントゴッコ。
この間、祖母の家の片付けを手伝った時に「プリントゴッコ」ってのが見つかりました。いらないそうなので、祖母からもらってきました。
サンキュー、おばあちゃん!
母曰く、昔は年賀状作るときの国民行事として使ってたのがこれだったそうです。
ブログにもってこいのネタなんで、記事にしました。
〈作り方〉
①下絵を書きます。(ドットでやってみたいがためのネズミと、カッコ良いのが欲しかったので手を書きました)
②下絵を印刷します。(祖父曰くプリントした方が綺麗になるそうです)
③特別なシートにライトで焼いて穴を開けます。
これが
こうなる
まじで、めっちゃ光る。眩しい。そして焼くために2個電球を使うのですが、電球は一回しか使えない。(コスパ悪すぎんか)
④出来たのにインクを垂らす。色んな色があって合わせて垂らすと滲んでいい感じになったりするそうです。
⑤紙に押しつけて、プリントする。
⑥出来上がり。
この手に関しては自分のことを天才だと思う。最高。
ドットでいい感じかと思ったけど、うーんって感じだね。まぁ、ありっちゃあり。
作る前に、母から結構荒く出来るって言われてたので覚悟していたのですがめっちゃ綺麗じゃないですか?
いや、楽しすぎる。まじで。
プリンターの方が明らかに便利なので、文明には感謝してますが、先人の知恵も凄いものだと思いました。これで年賀状作るのは労力が掛かりそうなのでごめんですが。
いい感じで、作りやすいので沢山刷ってしまいました。
何に使おうかな〜。
花柄のレース。
あの、今回は女性の下着について話をするので抵抗がある方は読まれない方がいいかと思います。しかも、私の個人的な意見です。っていうのを、最初に言っておきますね。念のため。
では、本題に入りますね。
私は前々から不満があるのです。
どうして下着はレースばっかりなのか?
本当にこの世の中の生地はレースしかありませんっていうくらいほとんどレース。意味がわからない。
レースというものは、今の宮本が着たくないものベストスリーに入ってるわけです。他は、花がらとピンク。そして、下着に使われてるのはほとんど花柄のレース。嫌いなもの同士が奇跡のコラボを実現している訳です。こんなの欲しくなる訳ないやん。
じゃあ、レース以外の買えばいいやん?って思ったやろ。レース以外やと選択肢がクソ狭くなるんだよ。レースなしで可愛くできんのか?と思うくらい可愛いのが少ないのです。
ってか、レースの下着を付けてる人はレースに満足してる訳?「レース=可愛いもの」なのほとんどの人にとって。レース苦手な人はどうしてんの?ユニクロ?ユニクロしかないんか?あっ?
とにかく、ブリブリなのが嫌いなので本当に苦手なんですわ。本当に欲しいって思ったことほとんどないからね。
だから、本当に下着でシンプルなものが欲しいってなる訳なんですよ。いや、シンプルというのもちょっと違うな〜。工夫されたデザインがいいけど花柄レースは嫌なんですよね。
例えば、レースであっても花柄じゃないものとか、シンプルに見せて肩紐がクロスしてて可愛いのとか、いろいろ出来そうじゃないですか?ねぇ?どうですか?
これは、素朴な疑問なんですけど、女の子はピンクにハートに花って誰が決めたんでしょうね。本当に謎すぎる。別に好きな人のことを悪く言ってるのではなく、女の子の代名詞としてこういうのを使われるのってどうなのって思います。別に好きじゃない人だって沢山いるでしょ。「女の子は〜かわいいものが〜」とか言ってるけど、私はかわいいフワフワしたものよりもキッとしているのが好きなんですよね。こういう人って意外といるんじゃないのって私が勝手に思ってます。
需要あると思うので、かっこいいブラというのを提案させていただきたいです。
物語のその先。
春休みがコロナのせいで暇になってしまった宮本です。
家にいることが多くなったので以前から読みたかったJOJOを読むことにしました。6部まで一週間で一気に読みました。
JOJO面白いですね。
きっと面白いんだろうなとは思っていたのですが、期待通りに面白かったです。
そもそも、JOJOというのは今の段階で8つに分かれている作品です。8個それぞれに主人公がいて舞台も変わる作品です。1部と2部は波紋というのを使って戦っていくのですが、3部からは幽波紋(スタンド)という背後霊みたいなのを使って戦っていく感じですね。あー、多分伝わらなさそうやな。
説明難しいから読んでくれ。
同じような能力(つまりスタンドです)を使っていく設定なのにそれぞれのチャプターで主人公が変わるごとに違う作品っぽくなるのはすごいなと思います。
違う作品っぽいんだけど、前のチャプターでも出てたキャラが出たり、そのキャラとのつながりのようなものが物語にチラチラっと出てくるのって本当に私が喜んじゃう感じです。
物語って終わってしまうと、そこで出会った人物たちをまた見るのってなかなかないのに、ジョジョはそれを実現してるので好きになるわーと思います。物語のその先があるのってやっぱりいいですよね。
というわけで、前置きが長くなりましたが、今回は物語のその先って2番目にみたいところじゃない?というお話です。
これ、キャロリングの感想でも似たこと書いてた気がする。
リンク貼っとくから、気になったら読んでね。
では、話を戻しますね。本って読み進めていくと左手で感じる紙の厚さが薄くなりますよね。
その時に私はいつも思うのです。
この物語はどこで終わるのだろうか?
残り少ない枚数で登場している人物はみんな幸せになれるのか、本当に大丈夫なのかと気を揉んでしまいます。そして、本を読み終わると「その先」がいつも気になって仕方がなくなってしまうのです。
物語って幸せになったかな〜みたいな感じで終わりません?山を越えてウォーーーーーってなったところで終わりません?
いや、私は山の先も見たいんだよ!
っていつも思います。まぁ、山越えてからもダラダラ書くのはどうなのかというのも分かります。でも、私は公式でその人たちがちゃんと幸せになったってのを見て終わりたいんですよー。(そうなると死ぬまで描かないといけなくなるので難しいですね)
こういうのを読みたいってなると、嬉しいのってスピンオフ的な作品ですよね。私、中学の時に図書館戦争にハマったのですが、別冊として出されたスピンオフのような内容はめっちゃ好きです。本筋には全く関係のなく、登場人物中心に描かれている作品なんですけど、あの最高な人間関係で織りなすストーリーが最高なんですよね。久々に読みたくなりました。
いやー、でもやっぱり本筋として書いて欲しい節もあるわ。
やれやれだぜ。
せっかちさん。
私はせっかちなのかも知れない。
旅行で姉と一緒に行動してるのですが、身長が私より10センチも高いのにも関わらず、姉の歩くスピードが遅すぎる。そう思っていましたが、私が早すぎるだけじゃね?って思ったわけです。
どうやら、私はせっかちみたいです。
思い返せば、思い当たる節はあります。
・授業終了したらすぐ教室出たい
・信号が青になった瞬間に渡りたい
・大学まで歩くスピードがはやめ
・Googleマップで道を渡るかを早く把握する
ほかにも沢山あります。でも、日頃からせっかちな訳ではないのです。家ではゆっくりしてるしお昼寝だってします。朝の準備だって割とゆっくりしてるし....。
なんでせっかちになるのか原因を探ると答えは明白でした。
私は家が好きなんだ。
家に早く帰るためにさっさと歩くし、目的地に着いてすることしたらすぐ帰りたい。家のソファーにくつろいでなんてことない時間を過ごしたいのです。よく、家でのんびり過ごして1日無駄にしたとかよく聞くけど、私はそう思わない。確かに毎日毎日、家でのんびりするのは一見無駄に見えるけど、それは過ごし方次第じゃない?と思うわけです。言い訳なのかもしれませんが。「家にいない=充実した日」じゃねぇーからな。(急な強気)
とにかく、私は家に早く着くための努力は惜しまないのです。
と言うブログを家でソファーに寝ながら書きました。